「生活が仕事のヒントになり、仕事が生活を豊かにしてくれるような生き方がしたい」
そんなことを考えているうちに行きついたのが、翻訳の仕事でした。
何でも一応体験しておくと、いずれ何らかの形で翻訳の役に立つのです。
そして、本を訳すたびに、自分の生活がちょっとずつ変わっていく。
先月出たこの本を訳しているときもそうでした。
『スペシャルティコーヒー物語――最高品質コーヒーを世界に広めた人々』
著者は女性フードジャーナリスト。
コーヒーについては、毎朝飲んではいたけれど素人、という立場から取材をスタートし、
実際に味わい、旅しながら、スペシャルティコーヒーの世界に魅せられていきます。
本書が書かれてから約10年。今では日本でも気軽にスペシャルティコーヒーが楽しめます。
産地・農園・品種・年度まで詳しくスペックが記されたコーヒーを、
焙煎度や抽出方法まで意識して、味わい比べることができる時代です。
本書を読んで(訳して)いると、実際に味わってみたくてしかたなくなります。
それもこれも、訳すための下調べだ!
そうして私は、有名喫茶店に足を運んでみたり、ハンドミルを新たに購入したり、
高級豆をネットで取り寄せてみたり、しはじめたのでした。
ニカラグア、グアテマラの章を訳すときは、南米のコーヒーばかりをカフェで注文していました。
エチオピアの章を訳していたときには、近所の焙煎屋でイルガチェフェの豆を偶然見つけて小躍りし、
もちろん買って帰り、丁寧に淹れて飲みながら訳しました。
パナマの章を訳したときは、奮発してエスメラルダ・ゲイシャをお取り寄せしました。
そうやって、各地を旅しているような気分で、
その土地ごとの自然の風景、人々の暮らしや政治的背景に思いを馳せながら味わうと、
コーヒーの種類ごとの味わいの違いも、より一層際立って香り立つように感じられました。
ええ、もちろん、Googleマップでその土地に降り立ち、著者が通った道を探したりもしました。
著者は素人ですし、取材に答えてくれる人々の知識にも曖昧な部分はありますが、
直接取材し、見て聞いているからこその情報の瑞々しさが、この本の一番の魅力でしょう。
まずは感じて、興味をもったあと、より正確な情報を求めて他の本にあたるようにすれば、
単なる知識の詰め込みにならずにコーヒーについて学んでいけるのではないかと思います。
この本に足りていない部分については、巻末の解説がしっかり補ってくれています。
解説を担当してくださっている旦部幸博氏のご著書『コーヒーの科学』(講談社、ブルーバックス)、『珈琲の世界史』(講談社現代新書)なども、知識欲を満たしてくれますし、本書に唯一登場する日本人、丸山健太郎氏のご著書や監修本を読めば、コーヒーを一層美味しく飲めるようになるでしょう。
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先日、東京・表参道にある丸山珈琲を初めて訪れました。
軽井沢まで行かなくても表参道にあったんですねぇ。
丸山珈琲初のシングルオリジンコーヒー専門店です。
本書にも登場するパナマのエリダ農園のコーヒーを、
品種&標高&生産処理法ちがいで、2カップ飲み比べたのですが、
ゲイシャの一口目が衝撃的でした!!
・・・ジューシーってこういうことか・・・鼻腔で味わうってこういうことか・・・
そして、ハニーエリダもこれまた、全然タイプがちがって、トロリとうまい!
いずれも、従来のいわゆる「喫茶店の珈琲」とはまったくイメージが違いましたし、
訳しながら自分で淹れていたコーヒーとも次元が違いました。
紅茶のように軽やかでもあり、若いワインのような果実味もあり、
でもコーヒーらしい鼻をくすぐるような豊かさもあり・・・
素人でもそんな感想を誰かに話したくなるほどでした。
『スペシャルティコーヒー物語――最高品質コーヒーを世界に広めた人々』
マイケル・ワイスマン (著)、旦部 幸博 (日本語版監修・解説)、久保 尚子 (訳)、
楽工社(編集協力:高松夕佳、装幀:水戸部功)